尾州早すし|鮨&赤酢(粕酢)のルーツ

2015.04.23

今からおよそ200年前、文化文政時代に酢屋、中埜家(現ミツカン酢|愛知県半田市)により粕酢が誕生しました。
元々日本酒造りが盛んでしたが、灘の酒(何の因果か元々住んでいた町と,今住んでいる町)に押され、日本酒が衰退…。
売れ残った日本酒が時間と共に、味醂となり粕酢となった。
それまでも、なれ鮨や押し鮨がありましたが、食べる迄に数週間から数ヶ月と大変時間のかかるものでした。
それが、この粕酢の登場によって飛躍的に早く食べられる握り鮨が誕生し、そのことから「早すし」と呼ばれるようになりました。
廻船によって半田の港から江戸の市場へ送られたことで、庶民に握り鮨が普及するようになりました。
江戸で握り鮨が誕生した当時の寿司を忠実に再現したのが、この「尾州早すし」。
現在、世界中で食されている日本の握り鮨のルーツは、半田から始まった。
普通の鮨のシャリは25gぐらいですが、尾州早すしのシャリは50gぐらい。
当時は更に大きく、おにぎりぐらいの大きさだったとか…